当てはまるところ、そうでないところ

彼らの致命的な弱みは、いつまで経っても精神的な充足を得ることが出来ない所にある。

「自分にないものを求める」という人間の性質に漏れず、上澄みを掬うことが上手な彼らは、特定の世界において「選択と集中」を行ったプロフェッショナルにあこがれる。

あこがれつつも、プロフェッショナルとの間に超えられない壁があることもわかっているのが彼らという人間である。プロフェッショナルを横目に、多様な世界で「そこそこの成果」を残し、たまに「革新的な異分野融合」を成し遂げながら、生きて行く。

そうしてたくさんの世界に足跡を残しながらも、本人は永遠に「これでいい」と満足することなく、いつのまにか消えていく

この最終盤の記述は正に自分のこと。幾つか自分のことではないなと思う部分、アウトプットの質に関する記述とか、はあるけど本質的に自分の拘りの正体とそのことによって引き起こされている現実との乖離、何となくつきまとう充足への飢餓感のメカニズムが判りやすく記述されている。

回りにこういうタイプが多いのか、それとも自分のことを客体として書いているのか、いずれにせよこれを書いた人は洞察の鋭さもさることながら、対処法や操縦法を的確に記述している部分が際立っていると思う。こういう部分が自分には一番足りていない。


今日、13日はカウンセリングに行く日。これのプリントアウトを持っていくべきか、まあ持っていっても時間の無駄になるだけのような気はするけど。
そういう願望を持つと言うことはカウンセリングの場においてもやっぱり自分を理解して欲しい、まだ理解されていないという願望にひたすら突き動かされているだけなのだろうか。