「巨人の肩の上に、、」と推計学の話 その2

なんだか長々と書いていたら後半部分の推計学の話についてすっかりすっ飛んでしまった。
で、推計学の話なのだが、正しくは推計統計学といい、新聞各社の世論調査等でお馴染みの無作為抽出された子集団の様態から母集団の様態を推計するための学問、と言うことらしい。


で、その推計学がなにゆえこの話に繋がるかと言えば、本当のところ推計学という字面だけ書店で見てこの言葉の意味を少々誤解していたことに今気付いたところで、実のところそう言う意味での推計学を語りたかったわけではない。

ついでに言うと書いている内に全然違う方向に話が向かってしまったので実際のところ自分が本来何を書こうと思っていたか忘れてしまった^^;

恐らく、自分に欠落している物として物事の概要を俯瞰的に把握したり、全体の構想の下に部分を構築していくという、緩い言葉で言うと「勘」のような物があると言うことが言いたかったのだと思う*1

彼方に飛んでしまった表題を付けたときの構想の残像のような物に目をこらして考えてみるに、恐らく僕は人類史的な思考の積み重ね、巨人の肩に乗って遠くを見ている状態、と個人の頭の中に残滓のように残っている明確にアドレスが振られていないような迷子の思考、知識、つまり無意識下には個人の思念に影響を与えているけど自分の知識のリストには存在しない物の影響を受けて様々な判断をしている、まさに山勘状態というのはある意味相似的なもので、人間は無意識的な部分で「脳」力をその二方向に拡張しているんじゃないかと言うことを言いたかったんだと思うが、違うかもしれない^^;。

エピソード的に言うと、本当にぶっつけ本番で思考力テストとして数学のテストを受け続けたことによって得られた能力が一つだけあって、自分があやふやにしか知らないキーワードに基づいて小論文を書かなければならないというようなシチュエーションには滅茶苦茶強くなった。

あと、英語の長文読解で自分が理解している単語が30%ぐらいしか存在しない文例でも何とか読むことが出来るようになった。


こういった能力は実は先述の自分にかけている部分の能力を要求される物で、ではかけていないじゃないかという話になるのだが、やっぱり欠けており、発揮されるのはテストなどの非常に追い詰められた場面のみで平常時にこのような場面に突き当たれば僕は心ゆくまで辞書と時間を使うか、主題が面白くなかったりしたら面倒くさくなって途中で放棄するかのどちらかだろう。


また、こういった技能は限定的ながら非常に役に立つ物ではあるが、弊害もあって、なんとなく類推から理解したような気になっている知識が膨大に増えていってしまうと言うことだ。



単純に言い換えれば僕はかなり当てずっぽうをパズル的に組み立てる訓練をそうとは意識せずにかなりの分量積んできて結果としてその場その場を凌いでは来たが、代償としてちょっとずつ間違った知識をかなりのボリュームで蓄えてしまったと。まあ、そういいたかったと。おそらくは^^;


また意味のない文章を作ってしまった^^;

*1:欠落しているからこそこういうことになると言う事例がまさにここにある^^;