〜前略
 商家や農家を含め当時*1の多くの人々の理想は家産を守って増やすという義務を果たした後、その多くを次世代に引き継ぐ一方、一部を隠居料として受け取り、隠居することだった。隠居とはいえ、やめるのは家産を増やす活動で、社会活動ではなかった。やりたいことをするのは自由で、しかもそれは称賛された。
 有名な隠居は、全国を回って実測日本地図を作った伊能忠敬だろう。彼は隠居のかなり前から暦学などを学び周到な準備の後、成果を上げた。多くの人々は自分の役割を自覚し、充実感を味わいつつ死んでいくのが夢だった。その役割が隠居前の義務的な仕事とは別であること、隠居料は現役時に自分たちで稼いだことなどがポイントだ。
 こうした点は現代に通じる。例えば年金についても、現役時の生活を維持するための経済的支えという従来の考え方ではなく、江戸期の隠居のように、自ら設計した第二、第三の人生のための安全ネットと位置づけるという哲学もあるのではないか。
後略〜
(参照元:日本経済新聞 2005年3月17日 33面 『ゼミナール 人口減少と経済22 生活 第二、第三の人生、設計が大切』大和総研)

*1:江戸時代