3回目の診察。
 経過を報告すれば安定剤を飲み続けることによって確かに不安が薄れて、結果的に今まで溜まっていた仕事が(私的なものも含めて)捌けていっていることは事実。
 ただ、根本的な集中力が続かない、集中のポイントが短時間で移り変わるという問題点は当然安定剤では解消されない。
 話を要約するとリタリンは多動傾向の人には効くが、注意障害の人には効かず、副作用のリスクが高い。つまり薬物で解決を図ることは出来ないので自分の行動を自分の特質を理解した上でそれにマッチした物に変えていくしかないと言うこと。その過程でADHD的傾向が原因で抑鬱的になったりすることが一番悪いことなので安定剤はそれを押さえるために飲むということ。
 話はわかる。ただ、行動を変える必然性は自分もずっと感じていてだけど、他人とアジャストするのが苦手な性格があったり、仕事の特質上苦手な仕事を避けてばかりはいられなかったり、自分では判っていて出来ないことを時間を掛けて克服していきましょうと言われても、今は薬で楽になっているだけで根本的な解決法は何もないという宣言を受けてしまったような感じ。
 薬漬けになるつもりはないし、他に手だてがないといわれればやむを得ない話なのだが、この三回でじゃあ具体的にどうすれば自分の行動を変えられるのかというノウハウ的な話や、行動療法的なことをしたわけでもなく、ひたすら自分の現状を解析され、治療的な行為としては安定剤の処方だけだ。
 良くなったり悪くなったりはこれまでも周期的だったし、その点でも今ひとつ先生を信頼し切れない。
 まあ、自分の上手くいっていない部分に都合の良い名前を付けて納得していただけで、本当は結局「怠けているだけ」とか「自分に負けているだけ」とか世間的に見るとそういうことだったのかなとマイナス方向に感じてしまったりもする。良くなっているならそのことを素直に喜び、このままの方向性を歩めば良いはずなんだけど、マイナス100がマイナス50になったところで負債があることに変わりはないんだし、その状況に喜びを感じるのは難しいよな。
 結局のところ、医者にさえ行けば安易に明るい未来が開けるんだと勝手に思ってそのことにすがりついていたのかもしれない。そんなことで強くなれたり賢くなれるんならみんな精神科、通院するよな。