この年にして親と大げんか。我ながら笑える。
実は母親が法事の時に私の治療の話題をあろうことか勘違いした状態で親族連中の話題の種に提供したため少々立腹して帰ってきたのだが、何をどう勘違いしたのだが、父親が今日になって相談に来るから夕方から時間を空けろと言う。
自分の同僚に似たような経験を持っていて二年ほど休職して復帰した例があるから私にも休職を勧めに来るつもりだったらしい。
法事の際の私の挙動はいつもながらに不審だったかもしれないが、特段あのときだけの話とは思えない。まあ、父親としては息子が社会からドロップアウトした言い訳をしているのか、それとも本当に吉外になってしまったかの究極の選択を迫られたあげく、開き直って理解のある親を演じ始めたと言うところか。
ひとしきり鶏冠に血を上らせた後は、なんだか脱力状態。
こちらが色々と手段を講じているのにその上から全く違う絵の具を塗ろうとするのは今でも自分たちが親だというマーキングをしたいという潜在意識の表れなんだろうか。