たとえ話

いくつぐらいの頃に聞いた話だか、詳しいことは全く覚えていないのに話の内容は強烈に印象に残っている話がある。

母方の叔父さんから聞いた話だ。

西部劇に出てくるシーンで何気なく見過ごしてしまうが、馬に乗ってきた人が酒場などにはいるとき、横に渡した鉄棒状のものに手綱をひょいと引っかけて行くシーンがある。

馬は実際のところさしたる苦労もなく逃げてしまうことができるのに、軽く棒に引っかけただけの手綱から逃げることが出来ないという思い込みからその場に止まり続けるという話だった。

要は、これを人間に当てはめて、常識という思い込みで勝手に縛りを作ってしまっていないか、思いこまずに何でもやって見ろという話だったわけだ。


過去に何度か言及しているように僕は良くできたたとえ話というのは落とし穴があることが多いと思っている。

この場合は何かをアナロジーによって説明しようとしているわけではなくて、単なる説話のようなものだからその点はあまり心配する必要はないとおもうが、思わず眉につばを付けたくなるほど出来の良い説話だと思う。

で、この話を聞いた幼少の頃の僕は雷に打たれたかのような衝撃に襲われ、以降自分の信じる道を歩み続けた、と言うような事実はなく、聞いた瞬間は体にやる気がみなぎるのだけど、そんな心意気は一晩寝てしまえばすっかり体から抜け落ちてしまっていたのだった。

ただ、人間というものは得てしてそういうものだ、という教訓としてこの話はずっと残っている。

で、「得てしてそういうものだ」というのが曲者で、たいていの人がそうならそうでも良いんじゃない?という解釈も成り立ちうる訳で、僕は無意識のうちにこの話を冤罪符にして生きてきたような気もする。


まあ、どんなに素晴らしいメンターでも相手に恵まれなければ成果を上げることは出来ない、と言う話?