城の建った日

始めに断っておくが今回の話はここ十数年のネット社会の趨勢を遙か遅れて追体験している、要するに時代遅れな一個人の体験を記述している。だが、まあ個人の内面の動向として書く分には多少なりとも需要があるだろうという淡い期待で書くことにした。だから何を今更と言うことを如何にも新たな体験のような書きぶりをしている箇所が何カ所か登場するけど判ってやっていることなのでご容赦を^^;


僕はネットにどっぷりつかっている割にはそれをひたすら情報摂取のために使っており、コミュニケーションツールとしての利用は極限定的だった。
ある意味情報摂取というひたすら受動的な役割を果たすそれに対してかつてテレビに抱いていた自分を無限に蝕み続ける存在と感じ始めてすらいた。
またそもそもリアルタイムなコミュニケーションが苦手なこともあって*1、メールならまだしもチャットなんかに積極的に参加しようという日が来るとは思っていなかった。

ところが昨年末にMMORPGにはまったところまではたんに人生を食いつぶす手段をもう一つ手に入れただけということだとして、今月に入って通りすがりの人*2の勧誘を受けてギルドに入ってしまったことは自分にとって不可解な事件だった。
まあ、その勧誘をしたギルドマスターが実に営業上手だったこともあるのだけど、実は大学の弓道部に入ったときや、アー○○ィバンで版画を買ってしまった時などを思い起こすと自分はこうやって意に沿わないことを流されて受け入れてきたのだなと、不本意ではあるが、不可解ではないなと考え直したりして。


で、ギルドに入ったからと言って毎日パーティに参加してMMORPGの醍醐味である集団戦を堪能したり、入っている間中べったりとチャットしているかというと、そんなこともなく、メンバーによっては出入りの挨拶すらしない人もいたり、まあ大概はROMっているだけで主要メンバーがチャットを始めるまで半日*3ぐらいみんな無言でいたりすることもあったり。

かといって件のギルドマスターが入ってきて丑三つ時近辺のハイになる時間帯になったりすると、複数の会話のラインが猛烈な勢いで進行し、その中で会話に参加しつつ実は自分は狩りもしていたりで結構マルチタスクもいけるじゃないと自分を見直したり^^;またギルドマスターの発言が禅問答というか判りにくい親父ギャグというか、10秒以上考えないと何を言っているのか判らないようなことを言ったりするのでチャットと言うより大喜利に近い状態でスリリングだったり^^;


ぶっちゃけた話、今回の勧誘はこれまでの僕の人生の中では失敗の原因だった受動的な決断だったにもかかわらず当たりだったと思う。自由と束縛の適度なバランス、特に強制されるわけでもないなか節度を保ったコミュニケーションが交わされる環境。割と大人の集団みたいだし*4、初期メンバーらしき人たちは他のゲームからの集団移民組のようで経験の中でメンバーとして残ることを許されたそれなりに常識をわきまえたゲーマーのようだし。

で、半月経ってようやく主要メンバーの顔?性格?ペルソナ?と名前?が一致して、要は誰がどういうことを言ったり、どういう反応をしたりするかわかり始めた頃、メンバーが地道に木を切ったり鉱石掘ったり草を摘んだり、貯金をしたりした成果として昨日ギルドのお城が建ったのだ。

まだまだ新参者だが、おんぶにだっこで果実だけ頂くのは居心地が悪い小心者なので寝る間を惜しんで地道な作業に勤しみ多分参加してからの期間だけ見れば貢献度ではベスト3に入るぐらいのところまできていたので心おきなく城の完成を喜んだ。←こういう心持ちは実に狭量だなと思うけどね。


別にアバターが集合して何かお祭り騒ぎ的なことをしたと言うだけで今までのチャットやたまに開催されるベテラン主催のパーティプレイとどこが違うのかと言われれば説明するのが気恥ずかしくなる程度の理由しかないのだけど、何かの目標に向かってばらばらに見えた集団が動いていたというその成果の顕れ、そしてそれぞれの生活時間の中、全員に近い数が一堂に会するという希な出来事が起こった、という普段の集団性を感じさせない自由さを持った集団が実はこれだけの集団性を発揮できたというカタルシスがあったような気がするのだ。


実のところ、僕はバーチャルなコミュニティと言うものを存在を認識しつつも心の奥底では信じていなかったようなところがあったと思う。そのことに関しては自覚もあって、だからこそblogからSNSに移行しなかったし、blogもコミュニケーションツールとしてはあまり使ってこなかった*5。Twitterなんて未だに存在意義を疑っている。ニコ動は紙芝居的に仮想的なつながりのような物を演出し成功したように思えた時期もあったが、結局これは仮想であり、どこまでいっても良くできた仮想に過ぎないと言うのが現状の評価だ*6

僕の中に起こっていたこの心理は微妙に新しい波にのりきれなかったのか、性格的に合わないから近寄らないようにしていたのか、まあいろいろな要素があってそうなっていると言うことなのだろうと思っていたが、昨日の出来事はそう言ったことをひっくり返す、なにか新しいパラダイムが自分の中に現れたぐらいの衝撃があった。

敢えて言葉で表すと、今までインナーワールドへの逃避のためのみに存在していたネットという物を介在してコミュニティが存在しうるということを実感した瞬間があったということだ。


ゲームを始めた切っ掛けはしばらく断っていたRPGへの欲望に火がついたと言うことで、前提はソロプレイ、周りにいるプレイヤーキャラクターの先に人間が繋がっていることは頭で理解しているだけの事実だった。それが見知った顔になっていくとアバター、化身として血肉の通った存在になっていく。

ただ、今はまだ一時の狂騒というユートピアの中にいるこのコミュニティが城という核を手に入れて今までの気ままな状況がなんとなく許されなくなっていったとき、果たしてどうなるのか。

経済的なつながりも地縁血縁もないこの集団がどのような変貌を遂げていくのか、楽しみでもあり、またいずれアイスクリームが溶けるように必然的に訪れるであろう消滅の未来を思うと何となく寂しくもあるのだ。

*1:他人が見ていると途端にタッチタイプが出来なくなる^^;

*2:まさにゴブリンの村の入口当たりでナンパでもされるように^^;

*3:半日も入りッ放しって言うのも^^;

*4:でも会話の中でファンネルが何か判らずファンケルと似てますねと言われたときは果てしないジェネレーションギャップを感じたが^^;

*5:僕の無意識な書きぶりで結果的にそうなったとも言えるが、、、

*6:もっともそれが悪いというわけではないのだけど。テレビが見せる仮想現実と比較すれば制作側の数が桁違いなだけに少なくとも多様性の創出には役立っているだろう。質はそのうち母数の大きさが担保するようになるだろうし。