なりたかった自分と会った日

僕の父親は「最終講義」などというものをやる権利を有する人間だったのだけど、先週の土曜日がその日だった。

前日までは全く行く気がなかったというか、僕はそこに行くべき人間ではないだろうと何となく思っていたのだが、前日になって母親が時刻表を読んで時間通りに名古屋市内の所定の地点に行くという能力というか、そう言ったことについて「ある程度」を掴む感覚に全く欠けていることが判明し*1付き添いで行く羽目になった。


実のところ父親が大勢の前で話をするのは彼の職業上の重要なファクターであるにもかかわらず僕はせいぜい親戚の前で話をするところぐらいしか記憶にない。

キャリアと言うこともあるのだろうけど、実際に見てみるとプレゼン資料の作り込み、操作、話の展開のタイミング、適度に織り交ぜられる笑いと実にこの人は教育と言うことにプロフェッショナル意識を持ち、妥協無く作り込んだ仕事をする人だったんだなと言う感想を持った。

多分僕のなりたかった大人という物に近い何かのような気がする。

僕は父方から継いでいる緻密に何かを作り上げたいという欲求ばかりはあるけれど、母方のがさつな血筋が色濃く、また実際に母方の人たちの間で育ってきて、かつ自分自身が非常に不器用で論理性と根気に欠ける思考を持っているお陰でそうしたいと思って作業を進めると時間が幾らあっても足りなくなってしまい、結局周囲の誰かに仕事を取り上げられる、取り上げられるぐらいなら準備なんてしない、或いはギリギリまで秘匿して抱え込むといった非生産的な性格を獲得してしまったのだろう。


いずれにせよ、その日の父親の姿は彼を再評価する切っ掛けになる一方で、「なりたくてなれなかった自分」の姿を見せられたようで非常に複雑な思いを呼び起こした。


ただ、一方で最終講義といういささかメロウになりがちなシチュエーションで、あまりに如才なく、ほとんど感情的な側面を見せずに澄ました顔で「仕事」を終えた父を見て、やはり僕とこの人は違うとも思った。

まあ、僕があの場で見たのはむしろ父の仕事の中では余録のような物だったろうから、それを持って彼について何かを評することは公平性、正確性を欠くだろうけど、僕が彼の人の「仕事」というものに触れる機会はあれが最後だったろうことを考えると、あるスナップショットに対する感想という但し書き付きだけど、まあ意味のあることかなと思う。

*1:なにせ恵那から天白区で12時半からの行事に出席するのに11時頃に昼御飯を家で食べてから出かけるつもりだったのだから。極めて限定された人にしかその考え方の無謀さは判らないだろうけど判りやすく言えばその計算では良いところ中間地点にたどり着くのが精一杯だ。