さまざまな点で、帝国の比喩には魅力がある。アメリカ軍は世界各地に基地があり、世界全体を作戦範囲としているし、地域軍の司令官は植民地総督のように振る舞う事があり、新聞で総督と書かれることすらある。英語はかつてのラテン語のように、世界の共通語になっている。アメリカ経済は世界一であり、アメリカ文化は世界の人びとを引きつけている。だが、優位のある国の政治と帝国の政治を混同する間違いをおかしてはならない。
 〜中略〜
 新帝国主義という言葉にこだわる人たちは、この言葉の意味をそう厳密に考える必要はなく、「帝国」というのは比喩にすぎないと主張する。だがこの比喩で問題なのは、アメリカ政府が他国を管理する力をもっているとの非現実的な見方を助長し、議会とブッシュ政権の一部にある単独主義の強い傾向をさらに強めることにある。第一章で論じたように、他国を占領するコストは、民族主義が強いいまの世界では負担しきれないほど高くなっており、帝国の正当性に対しては幅広い批判がある。
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 マックス・ブートらのネオコンの論者は、問題をかかえる国で、かつて乗馬服と日除け帽のイギリス人が自信に満ちて行ったように、アメリカが開明的な占領統治を行うべきだと主張している。だが、イギリスの歴史家、ニール・ファーガソンは、現在のアメリカが、19世紀のイギリスと違って、「つねに見方が短期的だ」と指摘する。ファーガソンアメリカが帝国の役割を担うよう主張しながらも、アメリカの政治制度がこの任務を担えるものになっていないと懸念している。それが良いことなのか悪いことなのかでは意見が別れるだろうが、これは正しい指摘だ。
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 国防には外交の17倍近い予算を投じており、減税と財政赤字の時代に外交予算が増やされる兆しはない。さらに、アメリカ軍は治安維持ではなく、戦闘を主目的としており、ラムズフェルド国防長官の下で国防総省は当初、平和維持活動の訓練を減らしていた。アメリカは軍を、ドアを蹴破って突撃し、独裁者を叩きのめし、すぐに本国に引き上げる任務に適したものにしており、民主主義の政府を築きあげるために帝国主義的な占領統治を行うという難しい任務を果たすようには設計していない。世界と国内のさまざまな理由から、アメリカは外交政策の指針として帝国という誤解を招く比喩を使うのを避けるべきである。帝国という比喩は、21世紀の世界的情報時代を理解し、その課題に対応する際に必要とするものではない。
(参照元:『ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力』 ジョセフ・S・ナイ 山岡洋一日本経済新聞社 p.208-213)