〜前略
 欧州には中世から公債市場、資本市場が存在した。制度の相互学習が進んだこともあって、利子率は数世紀にわたって傾向的低下を見せている。17-18世紀のたび重なる戦争による財政負担の増加は、公債市場の拡大をもたらした。なかでも英国は戦争に勝ち続けて国家に返済能力がつき、巨額の公債を発行する「財政軍事国家」に成長した。
 ロンドンの金融街、シティーはこうした国家権力との密接な関係のなかで生まれた。だが、19世紀に国際金融の中心に成長したシティーは、徐々に英政府の利害を超え、人々が国境を超えて自由に投資機会を追求する場に変貌していく。20世紀初頭までには日本の国債も、植民地インドの公債も、すべて「どれだけ確実に利子を生むか」という基準に翻訳されて、取引された。背後にある権力もイデオロギーも文明も、金利水準によって表現されるのが「資本の論理」であった。
 シティーにとって大切なエートス(道徳的慣習)は、開放性、機転、社会的信用といった文化横断的または文化中立的な価値観への依拠であって、特定の宗教への帰依や、節倹、勤勉といった理念の徹底した追及ではなかった。
 こうして、社会の安定や所得配分、通貨の信認においては国家権力に依存しつつも、国家の設定した境界や、文明の指し示す価値観を超える、普遍的な取引の場がシティーのごく狭い空間のなかに生まれた。それがグローバリゼーションの大きな力を引き出したのである。
(参照元:日本経済新聞 2005年2月8日 p.33 『やさしい経済学-21世紀と資本主義 世界史のヒント 1.文明を超える力』大阪大学教授 杉原薫)