〜前略
 本そのもの(有形財)の取引と、本に収録されている情報(無形財)の取引を比較してみよう。本の場合、私が読んでいれば他の人が同じ本を読むことはできない(競合性)し、買い主に支配権を与え、他の人を排除することが、技術的にも経済的にも可能である(排他性)。この競合性と排他性から、所有権という権利が誕生し、資本主義的取引の秩序が保たれている。たとえば売買契約は、所有権が売り主から買い主に移転されることで、買い主は本をどのように使うも、貸すも、売るも自由になる。逆に売り手には、何の権利も無くなる。
 ところが、その内容である情報の場合、一人が持っている情報を他の人が同時に持つことは可能であり(非競合性)、長期間独り占めにするのはコストがかかりすぎて不可能に近い(非排他性)。このような特質を持つ財は、経済学では公共財と呼ばれ、市場取引になじみにくい。なぜなら、有形財の売買のようにAからBに売ったつもりでも、Aにも同じものが残ったりして、有形財における所有権のような明確な権利を設定することは難しいからである。
 かといってデジタル万引きのように、他人の創作物を勝手に利用することを許したのでは正義に反するし、創作で身を立てることはできなくなる。そこで社会的に有用な情報の生産にはインセンティブを与えることになった。これが知的財産権制度である。
 ここで、三つの点に注意を喚起しておこう。第一に、知的財産権は所有権とは異なる。第二に、知的財産権は対象となる財貨の経済的特質とは反する面がある。言い換えれば、知的財産を守るには相応のコストがかかり、放っておくと機能不全に陥りかねない。第三に、最も重要な点は、創作者にインセンティブを与えることは、それを乗り越えようとする第二、第三の創作者にはディスインセンティブ(阻害要因)になるということだ。世間ではこの点が忘れられがちだが、法は「一定期間に限って」権利を認めることで(所有権は永久の権利)、創作と利用とのバランスをとろうとしているのである。
〜中略〜
 アナログ時代は、有形財の権利と無形財の権利が一体となって取引されていたが、デジタル技術によって両者が分離され、無形財の権利処理の困難性と歴史的な未成熟が露呈されてしまった。
〜中略〜
 このような事態に対して、その解決策を知的財産制度の枠内で見出そうとする努力が続けられている。ウェブサイトを介して著作物を送信する行為(自動公衆送信)や、その前段としてウェブサイトに掲出する行為 (送信可能化)を著作権の対象に加え(著作権法二三条ほか)、著作権管理情報を偽ったり改変することを侵害行為とみなし(同一一三条)、著作物へのアクセスに制限を加えるソフトウエア機能を不全にすることを禁ずる(不正競争防止法二条)など、近年ほぼ一年ごとに著作権法などの改正がなされている。
 しかし、忘れてはならないのは、情報という無形財に権利を付与し、その権利を完全に保障しようというのは、もともと無理な要請だと言う点である。権利の完全性を保障しようとすればするほど利用がしにくくなる。たとえばデジタル著作権管理(DRM)は、アクセス制御機能を幅広く含むソフトウエアによって、著作権のみならずファイルに対する権利一般を統制する技術である。このソフトを使えば、著作権であろうがなかろうが、コードによって利用制限を設定できるが、コードの設定は使いにくさをもたらすことは避けられない。
 著作権上の問題を、著作権の制度内で解決しようとするのは、それなりの意義があるが、このような対応には限界がある。デジタル情報が無形のまま生産、流通、消費されるようになった現在、知的財産制度に限らず法体系全体をデジタル時代にふさわしく再設計する必要がある。
後略〜
(参照元:日本経済新聞 2005年2月15日 p.31 『経済教室 デジタルと著作権 上 法体系全体の再設計を 情報財流通に対応 知的財産制度では限界』情報セキュリティ大学院大学副学長 林紘一郎)