インターミッション或いは自己紹介2−2

 必然的に僕の幼少期の話し相手はテレビになった。かといって僕はさほどテレビが好きだったとも思えない。夏目雅子三蔵法師を演じた西遊記やNHKの人形劇のいくつか、サンライズ系のロボットアニメの幾つかは覚えているが恐らくどれも最終回を見ていない、或は覚えていないし、見逃さずに全話見ることに執念を燃やしたことも無かった。恐らく暇が潰せればなんでもよかったのだろう。

 僕は寧ろ大人達の目を盗んで庭の苔を森に見立てて物語りを紡いだり、誰にも見つからない押し入れでひっそりと空想に浸るのがお好みだった。ような気がする。だが、そうした行為には常に罪悪感が伴った。母方の家系は農家の出で子供であっても家族はすべからく働き手というのが常識であった。

 夢見がちな僕は常に要領が悪いという言葉で評価されていたように思う。それはつまり、手が遅く、働き手としてどこか欠陥を持ったものという意味合いを含んでいた。少なくとも僕にはそう聞こえていたと今にして思う。

 ただ、そうした空想に遊ぶ姿を最も見られたくなかった相手は実は普段余り関わりのない父親だったようにも思う。教育者として科学という宗教に帰依していた彼にとって僕のそうした行為は異端のミサとも評すべきものだっただろう。

 こうして僕は楽しい何かを他人と共有するという感覚を一切覚えずに義務教育というイニシエイションに足を踏み入れることになる。