インターミッション或いは自己紹介2−5

 帰国してからの数年間、高校に上がるまでのことは正直特に思い出したくない思い出で埋まっている。
 紫がかった灰色の時代。
 より自我の伸長した僕は周りとの差異をより鮮明に感じるようになり、今から思うと今より余程典型的な鬱症状が表出していたのかもしれない。
 元々身嗜みに気を使うことを男の癖に女々しいと思うようなところがあったが、日常的なルーティンとしての顔を洗って、歯を磨いて、風呂に入ってといったことすらが苦痛でならなかった。
 そんな奴が日本の中学校という環境にいていじめにあわないわけがない。

 ただ、この時代は一方で自分が自覚的に友人を獲得し始めた時期でもあった。多分標準的な発育過程からすると少々遅かったのかもしれないが、それまでの地縁で結ばれた特に趣味も合わない腐れ縁の幼なじみから、自分とできるだけ似た匂いのする友達を選択するといった方向性の転換があったと思う。

 であれば部活は文化系か帰宅部を選ぶのが自然の流れであったろうが、僕のあるべき姿は体育会系であり、当時から短躯で太っていた自分にムチを打つようにバレー部に入り、せっせと奴隷労働に従事するかのように球拾いに精をだしていた。