カウンセリングの効き方

わりとカウンセリングの中で話した内容が1週間前後で思い起こされることが多いような気がする。今回そうだったからそう思うだけなのかもしれないけど。
受けた直後はここで内容を整理したりはするのだけど、網羅的に言及するわけではなく、感情的にもっとも引っかかった部分を書いていたりするので必ずしもカウンセラー氏が治療上の重要性から言及した部分と自分自身の関心事が一致していないことが多いのかもしれない。

まあ、思い起こした内容が重要かどうかは僕が思うことなので本当にそうかは判らない。が、いずれにせよ受けた直後に印象に残っていなかった、あるいは感情的に受け入れられなかったことだけなのかもしれないが、いずれにせよ自分の意識上にあまり残っていなかったことが重要なこととして浮かび上がってきたことは事実だ。

で、今回のそうした形で処理されたテーマは二つ、ひとつは彼女のこと、もう一つはパニック障害ということ。

彼女のことは感情論的に受け入れられなかったこと。

パニック障害についてはカウンセラー氏は意図して遠ざけたい主題であったようで、僕が言及したけど可能性については否定的な見解が述べられたものだった。


鶏が先か卵が先かの話のようなところもあり、現状の問題点がこの二つに結びついているから自分の中で想起されたのか、言及があったから現状の問題点をこの二つに結びつけたのかは判らない。多分状況は先週から引き続きあまり変わっておらず、変わったのは自分の中のとらえ方だろうと言うことからすると、どちらが先かというのはこの際あまり問題ではないのだろう。

で、どう結びついているかといえば彼女についてある程度感情をフラットにして待ちの状態に入ろうとする一見理性的な判断は実は現状の自分に対する自信のなさから来る逃げではないか、そして現状の仕事に対するスタンスはひょっとしたらパニック障害に対する回避行動が常習化したためではないかという二つの疑念だ。

パニック障害云々については、カウンセラー氏としては実存するなら問題点として早期に掲示されてしかるべきものが急に出てきたことから、無用な結びつけによって存在していなかったパニック障害を実存するものとして自分が捉えてしまうことを恐れて言下に否定したのだと思うが、最近否応なく「修羅場」に巻き込まれたこと、その後仕事に対する拒否的な挙動の原因を探ると身体的な反応、冷や汗、頻脈、頭の中が真っ白になる、手が震える等が困難な仕事に対峙しているときに現れそしてこの状況からなんとか逃避しようという感覚が対峙している間中つきまとっていたことが観測された。

今までももちろんそうした反応はあったのだが、僕はそれは単に嫌なことに対する逃避だと思っていた。だが、逃避に常にこうした身体的な反応が伴っており、むしろその感覚から逃れたいという反射が逃避の原因になっていたとすれば自ずとこれからの問題への対処法は変わってくるのではないだろうかということだ。

まあ、カウンセラー氏が認知療法を専門としておりそれがパニック障害に対しても有効な手段であることを考えれば既にそうしたことは想定の範囲内だったかもしれないし、臨床的に見て僕程度の反応はパニック障害の範疇には入らないのかもしれない。

そう言う意味では自分から言い出したこの言葉に自分が無意識のうちに縛られているのが今週の状況なのかもしれない。


彼女の話はパニック障害とは逆にカウンセラー氏の言葉が深層心理に働きかけて過去の書き換えが行われた可能性も考えられる。

諸々の事情を考えても確かに今そうした対応に入ってしまうことは欠片でも可能性があり、その欠片程の可能性に働きかけたいという意志があるのならば合理的な理由が見いだしにくいということは認めざるを得ない。

確かに一月経っても想定された返信が返ってこなかったことはショックではあったが、そうした感覚のずれは今までだってあったことで取り立てて今回の状況が特別かといえばそれは分からない。むしろ明確な変化はこちら側の現下の反応にあり、相手側へのメッセージとしてはそちらの方が明確なものとして捉えられるべきものなのかもしれない。

彼女の中の僕のプライオリティが下がっていることはどう評価しても事実だとは思うが、別にストーカー的な行動をしている訳でもなく、少なくとも一度はこちらの意思表示に対して色よい返事を返してもらいかつその後明確な拒絶の意志を示されていないのに何日経ったという定量的な評価で相手の心情を推し量ろうとすることはこちら側の心情に明確な変化が無い限り合理的な判断とは言えないだろう。



やれやれ、まあ元からそういう側面はあったけど、ここ数日はまるっきりおかしい人の自分観察日記になっちゃっているな。