空疎

僕は自分が空疎だと思う。仕事も遊びも生活も、生まれたときから何一つ心の底から面白いと思ったことがないような気がする。
ただ、それもまた人としての必然なのかなとも思う。空疎だからこそ、何かを見つけるためにさまよい歩く。
パチンコのもたらす脳内麻薬の湧出に充実感を見いだす人間もいれば、仕事で認められていく快感におぼれる人間もいて、ネットの迷宮の向こうに見えるあるかもしれない何かを探し歩くことに一時の魔境に浸る人間もいる。


これまでに僕がやってきたことと言えば賽の河原の石積みのような減量と、魔境と思われるもの、テレビやゲームを人生から排斥することぐらいだ。もちろん空疎な物は空疎なんだからあとを埋めなければまた空疎な物で埋められるか、何もなくなってしまうかだ。

神仏に頼るのは主義主張に反する、というより生理的に受け付けないのだけど、規範や戒律を自分なりに形成していくことがこの空っぽの何かを埋めることなのかもなと今更思ってみたり。そんな根性を引き出すことにえらく手間がかかるのだけど。