嫌いな自分

ここに書くことは結構瞬発力で書いてしまうことが多いので総合的に検証すると、相互に矛盾のある箇所があったり、逆に同じことを繰り返していたりするだろうが、今回のテーマもそのどちらか、或いはどちらにも当てはまりそうなものだ。

『自分が嫌いな「自分」』と言うことに関しては手を変え品を変え色々と書いてきたが、根源的に見つめ直すと仕事が滞ったりする原因にもなっている「やっかいな自分」というものに突き当たる。


それは「悪戦苦闘している自分」だ。
ポジティブに考えれば「悪戦苦闘している」=「努力している」=「自分の領域を広げ、成長しようとしている」と良いことのように思えるが、ネガティブに捉えれば「焦っている」=「段取りが悪い」=「過去の手抜きの結果」とも捉えることが出来る。

それは一つの事実に対する多面の一部ではあるだろうけど、割合として5:5であることなんて無くて、場合によっては本当にサボりや処理能力の無さなどが原因の大半を占める場合もあるだろうし、当人の能力を超えた仕事が割り振られたり、優先順位の高い飛び込み仕事が割り込んできてやむなくそうなったという場合もあるだろう。

ただ、そうした原因の本当のところは誰か仕事をシェアしているバディがいたり、一部始終に目を光らせている偏って優秀な上司でも居れば把握できるだろうが、そうでもない限りは自分の胸の内に収まっている問題であるし、自分にしたところでそこのところを正確に評価できてはいないことが多いだろう。ただ端から見たら「忙しそうだな」「頑張っているな」程度に思われているだけかもしれない。

どういう経緯で僕がそういう自分が嫌いになったかは、恐らく生来の対人関係に関する過剰なまでの悲観主義が関与しているであろうことは想像できるが何故悲観的になってしまったかについては過去に色々書いているし、いずれも想像の域を出ないし、そのことをここで論じても意味はないと思われるので割愛する。

いずれにせよ、現象面で見ると、「そう言う状況に追い込まれた自分」は格好悪いという自己評価がある。異常なまでの多量の汗をかく、顔色が悪い、手が震える、口が上手く廻らなくなる、感情的に不安定になる。そっとしておいて欲しいから積極的に周りに当たり散らすことはないが、「話しかけるな」オーラを発し、目線や行動で牽制する。


で、そうならないためにどう対処するようになったかと言えば、自分との対話で「現状はあなたが思っているほど悪くはないんだよ」という自己暗示をかけようとする。とりあえず「逃避」をしてみる。期限について忘れたことにしてみる。


そうして安寧の中で仕事が進めばよいが、決してそうはならず、見事に自己暗示にかかった僕は「たいしたことない」仕事を先延ばしにする、或いは不安感を意識の表層から見えない位置にしまい込み、結果としてよりシビアに追い詰められていく。


結果、より時間という不可逆的なリソースを食い潰し、無意味により緊張感の高い状況を作り出す。


と、まあ、こういったところなんだろう。









なんでこんなこと書いちゃったかな^^;