〜前略
 現実世界では「唯一絶対の真実」というものが存在し難いことを我々は知っている。何が真実かは我々が置かれた文脈(状況)によって変るのである。前回述べたように「知識」の最大の特質は、それを人間が作り出すことであり、したがって、コミットメント(関与)や想いに代表されるような個人の価値観に根付いた、主観的な側面が知識にはある。
 また、知識には、個人や組織の間の社会的な相互作用のなかで創造されるというダイナミックな側面もある。同じ現象・データを見ても、そこにどのような意味を見出すかは個人の主観によって異なる。個人や個人のおかれた文脈によって異なる主観的な「真実」を、社会的な相互作用の中で正当化し、できるだけ客観的な「真実」に近づけていく、そのプロセスそのものが知識なのであり、知識とはそうした主観の「違い」があるからこそ生まれるのである。そこで、ここでは知識を「人間の信念を真実へと正当化していくダイナミックなプロセス」と定義する。
 知識においては「量」が問われるのはそのためである。従来の経済・経営理論は、個々の財の違いをすべて(貨幣価値などの)「量」の問題に置き換えようとしてきた。しかし知識という財では、主観や文脈の「違い」、つまり「質」にこそ意味がある。そうした「違い」に対する組織と社会のあり方を取り扱う理論が、いま必要とされているのである。
 現在行われている「ナレッジマネジメント」の実践や議論も大半が情報技術(IT)を利用しての既存知識や情報の効率的な利用など、「量」の問題を取り扱っているに過ぎない。実のところ、ITの発達がもたらしたのは、ITで取り扱えるような形式知や情報を入手できる社会では、強い信念や想いに裏付けられた高質な暗黙知に基づいて、自分にしかつくり出せない知識を創造することが、持続的な競争優位の源泉となる。
(参照元:日本経済新聞 05/1/28 29面 『やさしい経済学-21世紀と資本主義 知識社会と企業 2 問われる「質」』一橋大学教授 野中郁次郎)