知識はその性質上、「暗黙知」と「形式知」という二つのタイプに分けられる。組織的知識創造とは、この両者のダイナミックな統合プロセス、すなわち弁証法的な「らせん運動」である。
 形式知は言葉や文章で表現できる客観的で理性的な知であるのに対し、暗黙知は言葉や文章で表すことの難しい、主観的で身体的な知である。具体的には、思い、視点、心象や、熟練、ノウハウなどがあげられるが、主観的で身体的であるがゆえに、暗黙知は貨幣価値に換算することも市場取引も難しい。そのためこれまでの経済・経営理論では主に形式知のみを財として取り扱ってきた。しかしながら、市場取引になじまないからこそ、暗黙知はその企業独自の価値を生み出す源泉となるのである。
 したがって企業としては、まず個人が経験を共有し他者と共感することによって暗黙知を獲得する「共同化」により、独自の高質の暗黙知を蓄積することが重要となる。そうして蓄積された暗黙知は、主に対話により明確な言語ないし概念として表現され、形式知となる。直接経験を共有していない第三者にも理解可能な言語・概念・図像・形態に暗黙知を変換していく。これは「表出化」のプロセスとよばれ、個人に内在する暗黙知を個人の中にとどまらせずに共有し、客観化することでさらに発展させていくために不可欠なプロセスである。
 「表出化」によってグループ・レベルの集団知になった形式知は他の形式知と組み合わされ、編集され、組織レベルの形式知に変換される。これが「連結化」プロセスであり、そこでは情報技術(IT)の効果的な使用により、コンセプトの組み合わせやデータからの意味づけを効率的に行うことができる。
 こうして組織レベルで創造された形式知は、頭で理解した知を行動を通じて個人の中に再び取り込むという「内面化」プロセスを経て再び暗黙知となる。自己の思いを言葉や製品といった形に具現化し、客観化することにより共有して異なる視点を総合する。そして、そのように創造された新しい知をもう一度自分の中に主観的な知として取り込んでいくー。この主観と客観の往還プロセスにより、個人の持つ暗黙知は質・量ともにさらに豊かなものになっていく。そして、その暗黙知は次の知識創造のらせん運動に組み込まれていく。知の創造とは絶えざる「自己超越プロセス」なのである。
(参照元:日本経済新聞 2005年2月1日 p.27 「やさしい経済学-21世紀と資本主義 知識社会と企業 4.暗黙知形式知一橋大学教授 野中郁次郎)