インターミッション或いは自己紹介2−2

 時間の無かった両親に代わって僕の面倒を見ていたのは母型の祖父母だった。

 といっても庄屋の娘として育ち終生事業欲に取り付かれていた祖母は当時も母親を片腕に経営者としてフルタイムで働いており、主に僕の面倒を見ていたのはその事業全般の経理を任せられていた祖父だった。

 祖父は元から言葉少ない明治男で恐らく傷痍軍人であった過去のトラウマと権威主義的な連れ合いとのバランスをとる兼ね合いからかほとんど言葉を発することは無かった。

 戦後教育の申し子である両親の元で少なからず影響を受けていた僕は本能的に祖父から戦地の手柄話を聞くことを避けていたのかもしれない。それでも一度彼からそういった話を聞き出したことを思い出す。多分小学校の夏休みの宿題だったのだろう。あまり思い出すことが出来ないのだが、彼の話には軍馬を飲み込む大蛇が出てきたり全般として千夜一夜の物語りを読んでいるような良い意味でのほら話感が全編に漂っており、実は彼が僕の家族の中では珍しく良識的なバランス感覚を持った、しかも優秀なストーリーテラーだったのかもしれないと今にして思い起こす。
 でも普段の彼は不機嫌なのかご機嫌なのか判断の着かない顔で、それでも大相撲の中継だけは欠かさず見ていたのだから多分それは彼にとって一日の中で比較的幸福な時間だったのだろうと推測できるていどにしか僕に正体を見せない人だった。