インターミッション或いは自己紹介2−4

 小学生時代に訪れた一度目の転機は両親によるマイホームの購入だった。これによって僕は異常に圧力の高い個性の持ち主であった祖母から解放され、鍵っ子となり、安寧を得られる孤独により多くの時間浸るようになった。
 もう一つ、父の仕事の都合による一年半の米国在住も大きな変化ではあった。
 正直全く気乗りはしなかった。日本語によるコミュニケーションすら覚束ない人間英語で自己主張の激しい連中を相手にまともにつきあえるわけがない。
が、一人日本に残ればまた祖父母の元に引き取られることになる。
 それよりはましかと僕は家族とともに渡米した。
 それまで家族旅行に出るのは年に一回あればいい方、旅行といえばお盆と正月の親戚周りと相場が決まっていたのだが、流石にこの機会には多くの時間が家族旅行に割かれた。
 同じ車の中にとても仲の良いとは言えない家族が詰め込まれ、長いときは一月弱ほどの時間を過ごすことは居心地の悪いことも多かったが、概ね僕はその時間を楽しんでいたのだと思う。
 学校は現地校に通い日本人学校には通わなかった。級友には日本人を含むアジア系が自分を含めて5人。他にも南米系の移民等もおり、特に居心地の悪いことはなかったが、僕の性格が大きく変わることはなかった。
 結局僕は自分の作った箱庭が一番のお気に入りのコミュニケーション下手のまま、日本に帰ってきた。