つらかった。
厳密に言うと、この休みに入る前から兆候はあったのだけど、体調不全を気力でカバーしていた部分があって、今朝はついにそれがオーバーフローしてしまった感じ。
とは言えなかなかアポの取れない人相手なので病休するわけにも行かず、中央線から桜通線を乗り継いで丸の内にたどりつく。
公共交通機関に乗っている内は考え事をする余裕もないほど調子が悪かったのだが、さすがにカウンセリングに入ると緊張感が体調不全を凌駕するようになった、と自分では思っていたのだけど、カウンセラー氏には判ってしまっていたようだ。
厳密に言うと、体調が悪いと言うより、心配事があるというように解釈されたのだけど。
話の流れは
- 心配事があるように見えたのは体調が悪いせいであること
- 最近仕事が上手く行っていること、
- 原因としてペースとして仕事が谷間に来ているところで上司とのコミュニケーションに成功してある程度まとまって量をこなすことが出来たこと
- 精神科で処方されている薬が一つ増えた、テトラミドのこと、で調子がよいのはそのせいもあるかもしれない
- ただ、睡眠に関しては苦労していること
などなど。で、本題に入る。
今日の本題はやはり「別れ」だった。
正直、今日のセッションについては自分の中でほとんど消化し切れていない。動揺もある。
だが、時間をおいたからと言って上手くまとまるとも思えないのでそれなりの形で記録しておく。あるいは出来る範囲内で記憶しておく。
相当揺さぶられ、感情を揺り動かされ、今まで平静を保っていた感情を揺すられた。
そして本当の気持ちは何かと掘り下げられた。
で、可能性がまだあるなら継続すべきではないか、直接ではないにしろそう示唆された。
いろいろと話している内にたしかに最後のお互いの遣り取りは明確な別れの表現を避けていた。
そこでカウンセラー氏は「オプションとして明確に意思を確認するという手は残っていますね」と言った。
僕にはオブラートに包んだ礼儀正しい熟することのなかった恋を終わらせる儀式と思える遣り取りを、被覆をはぎ取ってやり直せと言う。
正直、僕は自分がこのことについて何を望んでいるのか全く判らなくなった。
更に、そこから発展して親から自立し切れていない自分について嫌になるような分析をされた。
自分も判っていることではあったが。
かつて自分はセッションの中で僕に関する問題は「親との関係性の中にあるわけではない」と明言したらしい。
当時はまだ今ほどカウンセラー氏を信頼し切れていなかったのか、それとも本当に当時の自分はそこまでの理解にたどりついていなかったのか。
ただ、そう指摘されて自分が確かにそう言ったことは思い出した。そう言ったあとに不自然な間があってカウンセラー氏が自分の感情を隠す作り笑いを浮かべ、「そうですか」と言った、その光景まで思い浮かんだ。
まあ、実際そこまでの回想は自分が創作しているのかもしれないけど。
いずれにせよ、親に依存し、自分の存在意義を行き着くところ親に仮託してしまっているがために、自分の人生を生きる事が出来ないでいる。
どうやらここまで来て僕は本当の問題点と向き合うことになったらしい。