もう一人の背番号20

 「背番号に宿る鬼」を書くに当って調べものをしていたとき、実は一点腑に落ちないデータに突き当っていた。
 それは権藤氏と星野氏の間、わずか一年ながら栄光の番号を背負っていた渡部司氏のことだ。昨日の時点ではまだ杉下氏、権藤氏と2代続いた段階で当時としては20番の意味が確立されていなかったか、期待されていたけど故障に泣いた投手だったかどちらかだろうぐらいにしか思っていなかった。紆余転変は世の常、まして実力本位のプロ野球界。そのぐらいはあって当然だろうと。
 しかし、一夜明けてみるとこの渡部司氏のことがのどに刺さった魚の骨のように気になる。再び調べてみることにした。
 '70のドラフト2位(同年ドラフト1位は谷沢健一氏)
 権藤氏からルーキーイヤーに背番号20を引継ぐも同年は当番機会なし
 翌年には20を星野氏に譲り22へ。同年3勝をあげ、期待の若手として嘱望されるが以降プロでの勝ち星はつかなかった。
 氏の背番号は20→22→49→57と転げ落ちて行き、'79にはついに崖っぷちの99を背負い、この年を最後に引退された。
(以上のデータはドラおたさんから参照)
 ほとんど一軍登板のない状態で9年間プロ野球選手として過ごすことが出来たことからしても球団が渡部氏に対してかけていた期待の大きさが想像できる。ただし、多くの無名のまま終わったプロ野球選手と同様、成績表を除いて氏のプレイスタイルや人となりをあらわす資料はWeb上にはほとんど見受けられず、左腕か右腕かさえも確認できない始末。
 しかし一点、氏に関する貴重な資料が痕跡として残っていた。

落合新監督の現役時代の恋人(念のため、気分よく打たせてくれる打撃投手をこのように表現します)

 URLから判断すると老舗ドラゴンズサイト@ドラゴンズさんの削除済みデータらしい。削除に至った経緯がわからないのでもしかして誤ったデータという可能性もあるが、一方かすかな記憶を辿ると確かに落合監督が選手として中日に在籍していた当時非常に緩い球をコントロール良く投げることができるBPがいて「落合の恋人」と呼ばれていたことが思い出される。たしか右ピッチャーで、髭を生やしていたような、、、あ、髭は故村田トレーニングコーチと混同しているかも。
 まあ、ともかく現時点では裏は取れていないのだが、かすかな記憶の中では中日時代の落合選手を支えたBPは「渡部氏」だったような気がする。もしそうなら落合監督と因縁の背番号20を結ぶミッシングリンクがつながるかもしれない。この件についてはこれ以上Web上で探すことは難しいようだ。出来れば紙データを当ってじっくりと形にしてみたいと思う。期待せずにお待ちいただきたい。

3次元的把握

まず、経営数値についてですが、昨年度の売上が約30億ドルで、日本企業を除くアジアで最大のPCメーカーです。また先のGartnerの報告によると、出荷台数ベースの市場シェアでは現在世界第8位となっています。さらに、中国市場では--一部政府の資本が入っているせいか、公官庁や学校関連に圧倒的な強さがあるとのこと--27%のシェアを持つということです

 聯想グループの正体に迫る記事。意外とこういう視点は今まで無かったので参考になる。元々は海外製品の卸しをやっていたのね。

PCに関しては、中国市場の売上が米国市場のそれを抜き世界一になるのも時間の問題といった指摘もあります。そのようななかで、現在首位を行くLenovoがさらにThinkPadというブランドを手に入れ、同時に製造工程近代化のためのノウハウも手に入れる。さらに、海外市場への販路としてIBMに期待できるとなれば、これはかなり手強いプレイヤーになるのではないか、とそんなふうに感じられます

 お手並み拝見ですな。
 もう一本。

 ここまで広く認知されている製品との関係が断たれれば、IBMの全社的なブランドイメージに悪影響が出てくるだろう。同社が販売している製品の多くは、公衆の目につかない所で使用されているからだ。

 こちらはアメリカの事情。上に引っ張った一節は正に核心部分。というか、私も同意見*1
 前回引用した本田氏の記事と併せてこの3本で現時点での事態の総体が見えてくるかも。

*1:IBMが収益性の高いエンタープライズ向けのシステムベンダー部門に経営資源の集中をしたとして、IBMのカリスマ性はいったいどこに残るんだろう?」の一節。ちょっと我田引水が過ぎるか?